LUSH MY LIFE.

ジャニヲタとして生きる

良い現場は、名著に似ている。アラフェス2020を観て、17年目のオタクが感じたこと。

ジャニオタの皆様、お疲れ様です。

私は寝る前に本を読みます。気持ちが落ち込んだ時にも、本を読みます。
読むのは、決まってフィクションです。山田詠美や角田光代のような、現実世界を舞台にしたものが好きです。

良い本は、現実を忘れさせます。
しかし、その度合いが適度で、本を閉じた瞬間に現実に引き戻してくれる。
現実逃避ばかりしていては、目の前の世界は進展しない。そう教えてくれる本が、私にとっての名著であり、優れたエンターテイメントだと思います。


11月3日、嵐にとって活動休止前最後の「アラフェス」を観ました。

いやー、実に良かった。
相葉すごろく、智のカレー、ライナーノーツと嵐の「嵐らしさ」が前面に出たコンテンツに続き、アラフェスpart1では過去の楽曲を中心に古参も楽しめるライブを開催。懐古要素も多分に含まれた、いわば「ファンと嵐の歴史」。

学生時代に全てを捨ててのめり込んだ嵐。
当時を思い出させる「すごろく」を初めとする「わちゃわちゃ」要素は、このまま活動休止なんてやってこないのではないか?と甘い夢さえ見させるほど楽しい時間でした。

しかし、part2で現実を悟ります。悟らせられるように設計されたコンテンツだった。
新国立競技場でのこけら落とし、豪華なオーケストラ、本当に?と思わせる本編ラスト曲、part1ではほぼ使われなかった特効の連発。

やっぱり嵐は既に高みに上っていて、活動休止は間近にあるのだと。そう思わされました。

極めつけは、本編終了後の挨拶。

松本潤さんが「このまま何も無く…というのも」と、しっかりと「2020年末での活動休止」を匂わせました。

オタクが勝手に夢見ていたものを、グッと現実に引き戻してくれる力。

嵐のコンテンツが名著たるのは、この松本潤さんの挨拶以降。

二宮和也さんは、松本潤さんが挨拶する後ろでこっそりと松本潤さんのうちわを振ったり、掲げたりする。
櫻井翔さんが一瞬そちらを見るが、最後は隣の相葉さんと笑い合う。
大野智さんは、周りを見ながらそれでも松本潤さんをしっかり見ている。

ちぐはぐなようでバランスのとれた「嵐」の完成形を見せながら、その終わりを示唆する。

オタクは松本潤さんの挨拶により現実の悲しみに突き落とされるけれど、その後ろで展開されるわちゃわちゃに「嵐」の形を見る。

そして、相葉さんから発表された「ファンクラブ存続」。うまいよねえ、本当に。

明るさの権化、5人へのこだわり、「トップになろうって夢」で嵐をひとつのゴールに向かわせた相葉さんにそれを言わせる。

あの瞬間、2004年の夏にタイムスリップした錯覚を抱いたオタクもいるのではないだろうか。
相葉さんの口から発せられる未来は、いつだって明るい。
ここから畳み掛けるようにシャンパンでの乾杯、アンコールでのカンパイソングととにかく明るい嵐で締める。

オタクの心を操るのが、嵐はとてつもなく上手いのだ。

夢見心地にさせたあと、叩き落としてまた上げる。

だからこそ、オタクは現実に右足を突っ込んだまま、左足で夢の世界にいざなわれる。

そんな嵐だから、コンサートが終わったあとに得られる爽快感が名著のそれと同じになる。

だからこそ嵐のファンを17年間辞められないし、相葉さんを応援するのがライフワークになる。
適度な現実感が、本当に「エンターテイメント」なのだ。


ちなみに、過去の嵐にその力は無かった。
現場に入る度にファンサや座席に心を惑わされたし、相葉さんが怒られていないかヒヤヒヤしていた。そこまで多くもなかった相葉担と必死に歓声を上げ、何かを押し上げることに必死だった。

「必死にならなくても彼らは売れていく」という諦めに似た感情をオタクに与え、それでも彼ららしさを失わないことでオタクを離れさせなくする。

嵐は、距離感の作り方が本当に上手くなった。
彼らも何かを捨てて、何かを得たからだと思う。例えばピアス、例えば発言、そういうものを。

本の中の世界はフィクションで、嵐が作る幸せもまたフィクション。
それを自覚させながら、嵐らしさを維持し続ける。

彼らがここまでオタクを離れさせなくさせたのは、彼らが名著のような空間を作り続けたからなんだろうなぁ、とぼんやり思った。



結成記念日おめでとうございます。
来年からもよろしくお願いします。