LUSH MY LIFE.

ジャニヲタとして生きる

嵐の活動休止に関して、まだ心の整理がつかない私のつぶやき

2004年、何の気なしに見ていた24時間テレビ。
嵐って仲がいいグループなんだなぁ。見ていて和むなぁ。

そう思っていた私を沼に突き落としたのは、紛れもなく、相葉雅紀さんの

「トップになりたいって夢、絶対叶えようね。」

そして、それを泣きながら、または笑顔で見守る嵐4人の姿でした。

嵐の活動休止に関して思うこと

正直、気持ちの整理はできていません。
二宮くんが言ったように、ファンも気持ちの整理に時間がかかる、というのは間違いないと思います。

ここ数年現場は当たっていなかったし、積んでまで入ろうともしていなかった。
テレビも雑誌もすべて追っていたわけではなかった。
それでも、年貢のように年会費を振り込み、当たらないと半ばあきらめつつも、毎年毎年相葉さんのお誕生日公演に申し込み続けた。
当選したくて、平日の札幌ドーム公演を1枚で申し込んでみて、落選して落ち込んだりもした。

そんなゆるい嵐ファンだったけど、16年、人生の半分は、嵐と一緒に歩んできた。

大学入試の時は大好きな嵐を断って、相葉さんのレコメンだけ残して、必死に勉強して大学に入った。
大学生をしながら全力でオタクをして、全国を飛び回って、オタクの楽しさを知った。
コミュ障で人見知りだった性格は、オタクをしている中で、いつの間にか治っていた。
社会人になり、ここぞという場面ではずっと、心の中で「きっと大丈夫」をワンフレーズ歌ってから臨んでいた。
恋愛で落ち込めば「Love so Sweet」を聞き、雪が降れば「冬のニオイ」を聞いた。
夏は自転車を漕ぎながら「ロマンス」を口ずさみ、落ち込んだ翌日は「Hero」を口ずさんだ。

05~06が最高潮に現場入りしてたのでこういうプレイリストになってしまうけど、それでも、嵐の曲はずっと聞いていた。

嵐はいつのまにか生活のインフラになっていた。
だから、それが突然「来年末になくなる」と聞いて、何が起きたのかわからなかった。

歌広場淳さんが「当たり前にあると思っていた」と言っていたけれどまさにその通りで、テレビをつければ嵐がいて、相葉さんはCMに引っ張りだこで、そういう世界が、いつのまにか当たり前になっていた。

大野くんが「魔王」に出演すると知って大野担と泣くほど喜んだあの時に比べて、嵐のメンバーが主演をつとめるドラマが放送されることに、新鮮な驚きはなくなっていた。
毎日家族が当たり前におはようと言い、おやすみと言うように、嵐は当たり前にそこにいた。

でも、それは当たり前のことではなく、嵐5人―大野智さん、櫻井翔さん、相葉雅紀さん、二宮和也さん、松本潤さん―そして、嵐を支える関係者、視聴者やファンがいたから成り立っていたことなんだ。と感じた。

4人でも6人でも、それは嵐じゃない、二宮くんがそう言ったと聞いている。

ファンが200万人以上いたって、国立競技場が建て替えられたって、オリンピックがあったって、嵐が嵐でいることを決めるのは、本人たちだったんだ。

本当のことはわからないけど、今の世の中、世論にそう思わせたらそれが真実になる。
嵐が、4人で嵐を続けることを望まなかった。だから、幕を引くことを選んだ。
それが、作られたものであっても、真実。

本当は、めちゃくちゃ嫌です。
2020年12月31日までの日々が、「カウントダウン」になってしまうこと。大好きなものがなくなる日を突き付けられてしまったこと。
相葉さんは、きっと泣いたんだろうな、と思ってしまうこと。

20時の会見で、実は嘘です!と言ってほしいと思っていた。
でも、会見は真実を嫌ってほどに突き付けてきた。笑顔がつらかった。
5人で決めた、ということをしっかりと関係者・ファンに伝え、ついてきてほしいと言われたことは紛れもない事実だった。

私の感情なんて置いてきぼりで、真実は進んでいく。
まるで、制御されたペンライトの色みたいに。
相葉さんを見ているのに青や黄色に光るペンライト。勝手に点いたり消えたりする光。
数年ぶりに当選して入った嵐コンで感じた疎外感に似たものを、会見を見て感じてしまった。

正直、本当にまだ受け入れられていません。
でも、2年後には、受け入れられている自分がいるのかもしれないと思うと、それもまた嫌です。
16年一緒にいた存在を、たった2年でなかったことにできるのだろうか。

でもある意味悲しいことに、嵐がくれた思い出はずっと心に残っています。
一生忘れたくない思い出もあります。

2年かけて自分が変わることが嫌で嫌で仕方ないけれど、それでも、嵐がいたから今の自分がある。
そう信じて、日々やるべきことをやっていきます。

取り急ぎ、自分の気持ちを整理しました。